今回紹介する図書は、「武器になる哲学」(著:山口周)です。
たくさんの哲学的思想が紹介されていますが、その中から、衝撃を受けた「組織」に関する2つを取り上げます。
1.はじめに
アメリカのワシントンD.C.を訪れた際、全く予定になかったのですが、時間が余ったために寄った「米国国立ホロコースト博物館」。衝撃でした。30分ほど時間をつぶすためだったのに、がっつり3時間見て回りました。博物館を出てからも体に何とも言えぬ嫌悪感がまとわりついているような気がして、再度近くのワシントン記念塔へ戻り、空にまっすぐと伸びるその姿を見て、前向きな気持ちを取り戻す必要があったほどです。
2.「悪の陳腐さ」 ハンナ・アーレント(1906-1975)
※ハンナ・アーレントは、アメリカの政治学者。ドイツ生まれのユダヤ人で、ナチス政権成立後、パリそしてアメリカへ亡命。
ホロコースト博物館を見て回った時に私の頭の中にあった疑問は「なぜヒトラーのような残虐な独裁者が民衆の支持を得て生まれたのか?」ということでした。これに対する1960年代ごろまでの一般的な回答は「ドイツ人の国民性」や「ナチスのイデオロギー」でしたが、ハンナ・アーレントはそうではないと主張しています。
アーレントは、ナチスドイツによるユダヤ人の大虐殺を主導する役割を果たしたアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴しています。裁判に現れたアドルフ・アイヒマンは、人々が想像していた「ナチス親衛隊の中佐でユダヤ人虐殺計画を指揮したトップ」という経歴から想像されていた「冷徹で屈強なゲルマンの戦士」ではなく、「小柄で気の弱そうなごく普通の人物」でした。
そして、アーレントは、裁判の傍聴記録を残していますが、その副題に『悪の陳腐さ』と付けています。つまり、600万人もの虐殺を起こした「悪」というものが、その悪に見合うだけの特殊なものではなく「極めてありふれていてつまらないもの」であったとしています。さらに、この記録の最後に『悪とは、システムを無批判に受け入れることである』とまとめています。
私も仕事柄、『与えられたシステム(目的、条件、制約、制度、仕組み)の中で「いかに効率よくうまくやるか』を考えてしまいがちです。しかし、それでは、ただナチス党のなかで出世するために、与えられた任務を最も効率よくこなそうとして、大虐殺を引き起こしたアイヒマンに通じてしまう可能性があります。
そうではなく、『現行のシステムを所与のものとせず、そのシステム自体を良きものに変えていく』ことを忘れないようにしなければなりません。
3.「権威への服従」 スタンレー・ミルグラム(1933-1984)
※スタンレー・ミルグラムはアメリカの社会心理学者。イェール大学の助教授の際に、アイヒマン実験を実施。
スタンレー・ミルグラムは、前述のアドルフ・アイヒマンから名前をとった、「アイヒマン実験」をしたことで有名です。
参考動画:https://nico.ms/sm32758889
まず、新聞広告に「学習と記憶に関する実験」を行うと告知して参加者を集めます。
次に、くじ引きで参加者を「先生」役と「生徒」役に分けます。
「先生役」は「生徒役」にいくつかの単語を覚えるように言い、しばらくした後に、「生徒役」が単語を思い出せなかったり間違えたりすると、「先生役」はボタンを押し、電気ショックを与えます。
「生徒役」が間違えるごとに、「先生役」は同席している「実験担当者」から電気ショックの電圧を15ボルトずつ上げるよう指示されます。
実験中、「先生役」と「生徒役」はインターフォンを通じて会話をするのですが、「生徒役」は、電圧が上がってくると、
- 75ボルトではうめき声をあげはじめ、
- 120ボルトで『ショックが強すぎる』と叫び、
- 150ボルトで『もうだめだ、出してくれ』と懇願し、
- 270ボルトで断末魔のような叫び声を上げ始め、
- 300ボルトで『もうだめだ!』と叫ぶだけで、質問に答えなくなり、
- 345ボルトで何も声を出さなくなります。
生徒が答えなくなった状況においても、「実験担当者」は、「先生役」に『数秒間待って返答がない場合、誤答とみなしショックを与えろ』と平然と指示し続けます。
さて、この実験で、何割の「先生役」が、どの電圧の段階で実験への協力を拒んだでしょうか。
なんと、約65%の「先生役」が最高の450ボルトの電気ショックを与えていました。(なお、「生徒役」は実はサクラで、「先生役」がボタンを押しても実際には電気ショックは流れておらず、インターフォンを通じてあらかじめ録音しておいた叫び声がながれていただけでした。)
この実験からどういった場合に人は権威に服従してしまうかについて、2つの示唆が得られました。
1)官僚制(分業制)の問題
権威のもと、ルールや権限を細かくし分業することにより、他人に責任転嫁を起こしやすい状況では、個人の自制心や良心の働きは弱くなる。
このことは、実験において、最高の電圧まで実験を継続してしまった「先生役」が、『自分は単に実験のルールに従って「実験担当者」に言われてボタンを押しただけだ』と考え、「実験担当者」に責任を転嫁したことからも伺えます。
責任転嫁の度合いの影響は、ミルグラムが行った追加実験においてさらに実証されています。
追加実験では、「回答の正誤を判断し、ボタンを押す」という「先生役」の役割を
- 「回答の正誤を判断し、与えるべき電気ショックの電圧の数字を読み上げる」先生役①と
- 「ボタンを押すだけ」の先生役②(この人は、サクラ)に分けます。
つまり、先生役①の実験への関与は最初の実験より消極的になっています。果せるかな、この追加実験では、約93%の人が最高の450ボルトまで実験を続けています。
実際にアドルフ・アイヒマンは『良心の呵責に苛まれることがないよう、できる限り責任が曖昧な分断化されたオペレーションを構築することを心がけた』と述懐しています。ユダヤ人虐殺にかかわった人々が、「私はユダヤ人の名簿を作っただけだ」「私は名簿に従って検挙しただけだ」「私はただ移送列車を運転しただけだ」と言えるように。
この官僚制(権限とルールに従って実務を行う階層構造を持った組織)は、役所だけにとどまらず大企業はすべて当てはまりますが、この示唆から「組織が大きくなるほど、自制心や良心が働かなくなる」、つまり「組織の肥大化に伴って悪事のスケールも肥大化する」ということとなります。
2)権威へのちょっとした反対意見の効果
ミルグラムは別の追加実験において、権威の象徴である「実験担当者」を複数配置し、その「実験担当者」の間で実験を続けるかどうか意見が食い違った時、「先生役」の100%が150ボルトというかなり低い段階で実験を停止した、という結果を提示しています。
つまり、権威へのちょっとした反対意見、良心や自制心を後押ししてくれるちょっとしたアシストさえあれば、人は自らの人間性に基づいた判断をすることができるということです。
4.気づき
ナチスによるホロコーストという紛れもない歴史的な大虐殺から導かれた「悪の陳腐さ:悪事は思考停止した凡人によってなされる」と「権威への服従:人が集団で何かをやるときには、個人の良心は働きにくくなる」という2つの考えは衝撃でした。
なぜなら、ナチスがしたことと同じことに自分も加担しうる可能性があることを示唆しているからです。事実、自分の仕事を振り返ってみても、時折感じたおかしいんじゃないかという疑問をやり過ごしてしまったことや、とにかく効率的にこなすことに夢中になってしまったことがあります。
どのような組織にしろ、人がある目的のために集まった集団であり、そしてその目的を効率的にこなすということは大きな一つの目的です。であれば、どのような組織においてもこの2つの危険性を潜在的にはらんでいることとなります。となると、このような危険性を回避する仕組みを備えておく必要があります。
何のためにやっているのかを振り返る機会を作る、責任の所在を明確にする、ちょっとした反対意見が言える雰囲気を形成する、コミュニケーションを円滑にするツールを導入する、決裁時にハンコを押すだけでなく一言意見を添えるようにするなど。
個人的には、「ちょっと違うんじゃないか」と言える勇気を持つこと、もしくは一緒に反対意見を言ってくれる仲間を見つけることをしていきたいと思います。
最後にこの本全体を通して。理系的かつ実務的な自分は、哲学的な問いはまだるっこしくて敬遠していましたが、自分の身の回りで起こっている論争が、すでに何世紀も前から議論され一定の整理がなされていることが分かったこと、さらに、人間に関する哲学的な問いから得られたその一定の整理は今も有効で活用できるものであることを痛感しました。
出典)
「武器になる哲学」著:山口周 (2.3.はほぼ図書からの引用です。)